山月記

隴西の李徴は、汝水のほとりに発狂した。

敬老の日

月が綺麗

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人有悲歡離合

月有陰晴圓缺

此事古難全

但願人長久

千里共嬋娟

 

かなしみよろこびはなれつどうは人

くもりはれみちかくるは月

いにしえよりのためしとてまどかなることかたければ

ただかの人もとこしえに

千里のかなたに月めでたまえ*1

 

 

*1:吉川幸次郎・清水茂訳『完訳水滸伝(三)』

読書録(令和3年8月)

8月の読書録! 「構造」について興味を持ち始めた。

読んだ

『弟子』中島敦

子路についての話。最期は「見よ!君子は、冠を、正しゅうして、死ぬものだぞ!」と叫びながら膾のごとく切り刻まれて死んでいく。弟子の死を悲しんだ孔子はそれから一切塩漬け類を食べることはなかった。

『はじめての構造主義橋爪大三郎

お盆に実家へ帰った折に、ふと近所のジュンク堂で手に取り、「春秋」というハイカラなコーヒーショップで数ページひも解いてみたら、のめりこんでしまいました。まさか自分が哲学書に夢中になるとは思っていませんでした(これを哲学書などといったら哲学をやっている人に怒られるかもしれない)。

この先しばらく私は「構造」について考えることになりそうです。現時点での自己分析は、雑多なもわっとした集合体や概念がシュルシュルシュルっと(バラバラバラっと)秩序を持った「構造」として現れたときに一種の快感を覚えるらしいのです。生成文法言語学に一時期希望を見出したのもそれがあるだろうし、群論ブームが私の中で再燃しているのも「構造」に対する特別な愛着があるのかなと考えたりしています。この本を読んで受けた感想については改めて書評としてまとめたいと思っています。うまくまとめられるかな?

『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』太田省一

『はじめての構造主義』とあわせてジュンク堂で衝動買いした一冊。お笑い好きの弟にあげてしまい手元にないため記憶を掘り出してになる。

「お笑いの世界」が社会のミニチュアとして機能していた(包摂的な)漫才ブームの時代と比べて、ダウンタウン松本人志が始めたシュールネタの類は、観衆の「笑いの教養」を試すような内輪的なお笑いであり、その点においてオタク路線を貫くタモリと共通点が見られる、といった分析はなかなか興味深かった。 それから、第七世代のお笑いを、(以前のように差別的・暴力的なネタがやりにくくなった現状を逆手にとり)差異を肯定していく「やさしいお笑い」「相互性のお笑い」と考察しているのも新鮮味があった。

『人間にとって教養とはなにか』橋爪大三郎

バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』は、今までの考え方を色々とぶっ壊した一冊だったが、そのなかの教養について「個人の無知や知の断片化が隠蔽される舞台」という一句に内心ドキッとさせられてから、「教養って何だろう」ってことをぼんやりと考えていた。 『はじめての構造主義』の感動が記憶に新しかったので橋爪先生の本だ、と思って買ってみた。

この本自体は教養書というよりも実用書に近い感じで、そこまで大したものは得られなかった。この本によると教養は「これまで人間が考えてきたことのすべて」である。分かりやすい。決まった目的があって身につけるものではなく、いつか役立つ日のために日頃から蓄積していくもの。そして、教養自体が目的になっていい、ただそれに親しみ、それを楽しむということがあってもいい。

僕もそう思います。ただクジャクの羽のようにはならないでおきたい。

いま読んでる

ガロア理論の頂を踏む』石井俊全

ガロア対応のあたりまで読み進められた。まだまだドローンで山の6合目まで風景を一舐めしたくらい。でも体を拡大していくと置換群が縮小していくイメージは身体にだんだんと馴染んできた。きちんと登っていけば麓までの景色が色鮮やかに見える。5合目より上はまだ濃い霧がかかっている。

『無理ゲー社会』橘玲

いつか読みたいと思っている『実力も運のうち 能力主義は正義か?』への足がかりとして買ってみた。丸の内の丸善で話題書として平積みになっていたから衝動買いした。

金閣寺三島由紀夫

三島由紀夫は難しそうと今まで避けてきたけど、100分de名著がきっかけになり今度こそ頑張って読んでみようと思う。

『はじめましての中国茶池澤春菜

ずっと読みたいなと思っていた中国茶の本。池澤さんの文体がすばらしく、予想以上に引き込まれていく感じがします。 中国茶が句読点となる生活も近いかもしれない。

とりあえず積ん読

ゲーデルの哲学』高橋昌一郎

ゲーデルについて興味を持ったきっかけは同著者の『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』(講談社現代新書)。「悪魔」というタイトルがついているから、原爆投下を主張するなど冷徹な側面が強調されているのかと思って読んでみたら、逆にノイマンの(お茶目な)人間性を浮かび上がらせる筆致で、ノイマンに対する印象をいい意味で変えてくれた。簡単に言えば、私はフォン・ノイマンという人間に魅かれてしまった!

そのフォン・ノイマンをして「20世紀最高の知性」と言わしめたゲーデルについても知ってみたいと思った。何しろゲーデル現代思想に相当な影響を与えているらしい、ということが最近分かってきた。不完全性定理などはさっぱり理解できないだろうけど、読み物として楽しめればいいなァ。

いつか読みたい

『実力も運のうち 能力主義は正義か?』 マイケル・サンデル

メンタリストDaiGoのホームレス差別発言を期にメリトクラシーについて考えるようになった。才能の弱肉強食、生存バイアス、夢に向かって努力せよ。あなた今まで運が良かっただけじゃないの?

読書録

少年時代、読書感想文というのがどうも苦手でした。原稿用紙何枚で書けだとか、そもそも課題図書というのがあって好きでもない本を読まされたうえに一丁前の「感想」を持たないといけないだとか。そういう風潮にうまく迎合できないまま、読書への苦手意識も膨らんでいきました。 大学生になり、社会人になり、誰にも強要されることない、一丁前の「感想」も求められることのない読書を知ってからは、徐々にですが私にも読書の愉しみが解るようになってきました。

外に出づらいこのご時勢なので最近は余暇にもっぱら読書をする時間が増えました。せっかくだからこれを機に自分が読んだ本だったり、これから読みたい本だったりを所感を添えながらまとめていこうかなと思った次第です。いつまで続けられるか分かりませんが、1年後2年後にこの「読書録」を見返してみて、過去の自分の思想や信条を覗き見ることができれば、それなりにおもしろいんじゃないかなと思います。

あまり気負わず、格好つけず。

山月記

臆病な自尊心

そうだ。お笑い草ついでに、今の懐いを即席の詩に述べてみようか。この虎の中に、まだ、かつての李徴が生きているしるしに。
袁傪はまた下吏に命じてこれを書きとらせた。その詩に言う。

偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃
今日爪牙誰敢敵 當時聲跡共相高
我為異物蓬茅下 君已乘軺氣勢豪
此夕溪山對明月 不成長嘯但成嗥

時に、残月、光冷ややかに、白露は地にしげく、樹間を渡る冷風はすでに暁の近きを告げていた。人々はもはや、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄幸を嘆じた。